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★地域の魅力紹介★八木遺跡公園印刷用ページ

時期 平成22年3月
エリア 八木遺跡公園(明石市)

展望台展望台からの明石海峡大橋方向の「見晴らし」
 八木遺跡公園から西へ、住吉神社前の展望台でひねもすのたりしてきました。
 八木遺跡公園は、平成16年に明石市が整備した公園で、付近にアカシゾウ(アケボノゾウ)の化石と明石原人の腰骨の化石の発見地である屏風ケ浦(びょうぶがうら)海岸があることから、明石原人の時代をイメージした遊具があります。
 おすすめは、この遊具よりも、すばらしい眺望です。さらに、西にある住吉神社前の展望台は、特にお勧めです。公園は、子供たちの元気な声でいっぱいで、シートを広げて、ピクニックの家族連れも多く、「のたり」とはいきません。
住吉神社前住吉神社前の展望台

 3月某日、展望台を訪れたときは、先客があり、「のたり」と文庫本を手に読書中かと、思いきやうつらうつらと舟をこいでいましたので、邪魔をせず、絶景を紹介する写真を撮り、早々に退散しました。展望台からは、東方面に明石海峡大橋、淡路島が見え、播磨灘の行き交う船舶、漁船、のりの養殖網が潮の流れで東へ西へゆったりと移動する様子、西の海岸沿いには江井ヶ島の漁港が見えます。展望台を降り、そのまま海岸の砂浜に出て、沖を行き交う船や養殖のりを収穫する漁船を「のたり」と眺めました。

漁船展望台からの「見晴らし」とのりを収穫している漁船

 公園と展望台の間には、アカシゾウの化石発見地と明石原人の腰骨の化石の発見地があり、明石浜の散歩道・播磨サイクリングロードとして整備されています。全長は約9kmあり、明石川河口の大観橋西岸(山陽電鉄『西新町』下車南へすぐ)から江井ヶ島海水浴場(山陽電鉄『江井ヶ島』下車南へ7分)までの播磨灘沿いの海岸線に造られています。休日は、サイクリング、ジョギング、ウォーキングの人たちがひっきりなしに行きかっています。
 アカシゾウの化石発見は、昭和35年(1960)にひとりの中学生が象の牙の化石の発見が、明石原人の腰骨の発見は、昭和6年(1931)に、在野の考古学者の発見が「大発見」になっています。今でも、ここ屏風ヶ浦海岸の崖の中に「象」や「原人」の化石が眠っていることを想像してしまします。
 明石原人については、明石市教育委員会のHPによりますと、以下のように紹介されています。(概要です)

化石発見地アカシゾウの化石発見地

「昭和2(1927)年、明石で病気療養中であった直良信夫(なおら のぶお)は、屏風ヶ浦海岸の崩壊しかけていた更新世中期の礫層からメノウの石片や旧象の化石を発見し、旧石器時代の人の存在を予見しました。そして昭和6(1931)年4月18日、直良はこの西八木海岸の崖崩れをおこした土の中から、化石化した人の左側寛骨(腰骨の一部)を発見しました。
 この人骨は昭和20(1945)年に戦災により東京の直良宅で焼失しましたが、昭和23(1948)年、東京大学人類学教室の長谷部言人(はせべことんど)が教室に残されていた人骨の石膏模型と写真をもとに、北京原人に匹敵する人の骨だとして「明石原人」と名付けました。

屏風ヶ浦海岸の崖屏風ヶ浦海岸の崖と「浜の散歩道」

 その後、昭和60年(1985)年に国立歴史民俗博物館の春成秀爾助教授(現教授)が屏風ヶ浦海岸の西八木遺跡で発掘調査を行い、直良が人骨を発見したとされる地層から、人工的な加工痕のある木片を発見し、さらにこの地層から碧玉(へきぎょく)でつくられた石器が採集されていることから、明石の地には今から約6〜7万年前に人が住んでいたことを確認しました。」

 そういえば、先ほどの読書の人は、松本清張の「石の骨」を読んでいたのかも・・・。

停留所たこバスの停留所

 八木遺跡公園へは、山陽電車の「中八木駅」から南へ5分、またはたこバスの谷八木ルート(オットセイ)で「八木遺跡公園」下車で公園入り口です。それよりも、明石浜の散歩道・播磨サイクリングロードから、ウォーキングを楽しみながら展望台で、休憩がてら「のたり」と柔らかな日差しを楽しんでいただくことをおすすめします。(投稿職員:メタボオンラインさん)

八木遺跡公園八木遺跡公園(右上:遊具がゾウ似、左上:ここからも絶景、右下:マンホール蓋、左下:住居風の遊具)

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