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★地域の魅力紹介★平清盛の足跡を訪ねて印刷用ページ

時期:平成23年10月
エリア:兵庫区南部界隈(神戸市)


 2012年のNHK大河ドラマに決定された平清盛は、神戸が唯一都となった福原遷都を行い、国際港都神戸としての発展の礎を築いた神戸と非常にゆかりの深い歴史上の人物です。
 ドラマを見る前に平家にまつわる歴史を理解し、史跡を巡れば何倍もドラマも楽しく見ることができると思って、トラックの日の10月9日、兵庫県トラック協会主催の「トラッ君スタンプラリー〜兵庫区 平清盛ゆかりの史跡探訪しよう!〜」に参加してきました。
 コースは、神戸ハーバーランド→鎮守稲荷神社→福海寺→兵庫大仏(能福寺)→阿弥陀寺→七宮神社→神戸ハーバーランドの約7km、1時間30分という、誰にでも気軽に参加できるものです。
        スタンプラリー最初の訪問ポイントは鎮守稲荷神社
 最初に、20分ほど歩いて一ノ谷の合戦の際に生田の森で戦死した清盛の甥、平経俊を供養する五輪塔が残されている鎮守稲荷神社を訪れました。
 次に、10分ほど歩いて海福寺。隣は商売の神様で有名な柳原えびす神社です。海福寺には時雨の松の石碑があり、当時、松の青葉より霊験あらたかな玉露の滴が垂れて、それが清盛の隆盛を導いて、清盛自身が大変好んだと伝えられています。現在は松そのものがなく石碑だけですので、今ひとつイメージが沸きにくいのが残念です。
日本三大仏の一つ、兵庫大仏
 続いて、10分足らずで訪れたのが、奈良と鎌倉の大仏に並んで日本三大仏の一つ兵庫大仏が鎮座する能福寺です。大仏は、重さ60トン、高さ11mで台座からの高さは18mという立派なものですが、歴史は浅く明治23年に兵庫港開港以来急速に増えたキリスト教に対抗して仏教徒がそのシンボルとして建てたのが始まりで、戦争時の金属回収で暫くは無くなっていたのですが、平成3年に耐震性を備えて再建されました。
画像
平清盛廟(能福寺)
 で、清盛と関係があるのは大仏ではなく能福寺です。清盛が50歳で太政大臣を辞任後、51歳の時に僧侶となるため出家の儀式を行った寺と伝えられており、清盛が京都で没するとその遺骨を持ち帰ったとされ、平清盛廟があります。
 続いて、阿弥陀寺に向かう途中にあるのが清盛塚です。清盛塚と呼ばれる十三重の塔には、清盛の遺骨が納められていると伝えられてきましたが、大正12年の調査で墳墓でないことが確認されました。その横に立つのが僧侶姿の平清盛像です。
 そして、能福寺から15分ほどで到着したのが阿弥陀寺です。当時、お偉い僧侶が諸国に殺生禁断を誓わせ、これを受けて魚を供養するために清盛が魚御堂を建てたとのことですが、現在は庭園内の池の中の礎石からその姿を思い浮かべるしかなく、これも「う〜ん」です。
清盛塚
         清盛像
 最後のポイントが七宮神社です。阿弥陀寺から20分ほどでしたが、さすがに疲れてきました。清盛は、南からの風波を受けやすい地形であった大輪田泊に、経ヶ島という人工島を築造して日宋貿易の拠点港に発展させましたが、そのため崩した山に祀られていた神の怒りに触れぬように建立したのが七宮神社で、ここで海の安全を祈願したと伝えられています。
 そして、20分ほどかけて出発地の神戸ハーバーランドに戻ってきました。
来年1月21日には、ここに平清盛のNHKドラマ放映にちなんだドラマ館と、地下鉄で一駅離れた中央市場前に歴史館が建設され、清盛の生きた平安時代の姿が展示・紹介されます。また、この歴史観をベースに清盛ゆかりに史跡を巡るガイドツアーが開催され、多くの観光客で賑わうことと思います。
 ぜひ、清盛が愛したまち「神戸」の昔と今の魅力を楽しんでみてください。
                                 (投稿職員「46のうさぎ」さん)
(参考)
平清盛ゆかりの史跡散策マップ(神戸市兵庫区HP)
福原京〜平家ゆかりの地を訪ねて(PDF形式:3,231KB)
大輪田泊〜清盛の日宋貿易の港を訪ねて(PDF形式:3,714KB)

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