すぽっとライト ナンバー五十八 多彩な繋がりから生まれるアイデアは無限大 バリフリボックス 無限大 四国運輸局では、公共交通事業者、観光事業者、当事者・支援団体や利用者の方へのインタビューを行い、 貴重な意見や提言をいただいております。 今回は、徳島県内で心身障がい児者の療育思想の普及と福祉増進をはかり、 共に生きる社会 共生社会 の実現を目指して、県内の障がいのある子どもを持つ親の会 七支部 の連合会である 徳島県肢体不自由児者父母の会連合会長 圓井 マルイ さんにお話をお伺いしました。 団体発足日 平成二十五年六月十二日 各支部 徳島支部 にんじんの会 小松島支部 さくらんぼ会 阿南支部 太陽の会 美波支部 たんぽぽの会 吉野川支部 ふたば会 美馬 つるぎ支部 じゃんぷの会 三好支部 あゆみ会 貴団体が発足された経緯を教えてください。 娘が小さかった頃は、障がいのある子供のいる家族に対して、徳島保健所の保健師さんが療育の指導を行っていて、障がいのある子たちと親御さんを保健所に集めて色んな栄養指導や生活面での困りごと相談など療育相談事業をしていました。そこに集まってきた人達と定期的に仲間づくりのための場の提供も保健所が支援し、その当時は、保健所圏域で保健所が事務局となり、活動が行われていたので肢体不自由児協会の徳島支部、小松島支部といった支部ごとで活動が行われていました。   一方で、全国では、啓発活動等を行っている肢体不自由児協会と併せて、当事者活動をする父母の会連合会という団体の二つが連携しながら活動していました。父母の会連合会というのは、障がい児者と家族が親睦を深め、要望などをあげるなどの活動を行っていました。そのような中で、徳島でも各支部が活動を続けていたのですが、徳島県肢体不自由児者父母の会連合会の必要性を感じ始めており、また、父母の会の窓口もしてくれていた徳島県肢体不自由協会の事務局の方から、 圓井さんやってくれないかなぁ と相談を受けました。確かに、支部ごとで活動を行うのもいいが、全国とのつながりを持つことも重要であり、各支部を統括する存在が必要であると感じていたので、徳島県支部の創設に向けて動き出しました。当初は、反対する支部もありましたが、何度も何度もみんなで話し合って、みんなが力を合わせてまとまることで実現できることもあるし、様々な情報を共有して県内の福祉の状況を変えていくことにもつながるということで、みんなの合意を得られ、二千十三年に全国肢体不自由児者父母の会連合会の徳島県支部として、かつ、当事者たちが運営する会として、七支部を統括した徳島県肢体不自由児者父母の会連合会 徳島県肢連 を発足しました。 貴団体は主にどのような取組を行われているか教えてください。 心身障がい児者の療育思想の普及と福祉増進を図り、共に生きる社会を目指して活動しています。障がい児者を活動の中心におき、当事者のみならず関係者や一般の方も参加し、学び、体験し、繋がるインクルーシブな企画を行っています。また、障がい児者の教育や生活全般についての様々な相談にも応じています。 また、徳島県支部を作ったことにより支部間のつながりが強くなり、支部同士での知識・情報共有が強固なものとなりました。組織の名前が肢体不自由児者とはなっていますが、会員となっている方の子どもの障がいの種別は様々で、例えば自閉症の方が多く在籍している支部では、その他の障がいについての知識・情報がなかったりすることもあります。その場合、他の支部から知識・情報を得られたりできるようになっているので、組織全体で地域の障がいをお持ちの方を応援しているんだよっていう体制が構築されています。 その他にも各支部が独自でイベント、啓発活動等をしていますが、徳島県肢連では、バリフリボックス等の大きなイベントを、全支部が協力して取り組んでいます。バリフリボックスでは、多様な種別の障がいをテーマとしており、一般の方々に向けてはもちろん、また私たち自身も、様々な障がいについての知識や視点を得ることができています。 さらに、全国の仲間たちとも繋がり、本県の仲間たちの意見を全国肢体不自由児者父母の会連合会を通して国に届けています。 貴団体の構成メンバーや会員を教えてください。 徳島県肢連は、令和三年から、障がい当事者家族はもちろん、障がいのある、なしに関わらず、本会の活動に賛同する仲間を広く会員として募集することとしました。 圓井さんが取組を始めるようになったきっかけや貴団体に参加されるようになったきっかけを教えてください。 徳島県肢連徳島支部のにんじんの会 当初は徳島県肢体不自由児協会徳島支部にんじんの会 に入会したのは、娘がまだ六歳の時でした。それまでしていた県職員を退職して、娘と向き合ってがんばっていこうと思った際に、同じような障がいのあるお母さんたちとのつながりが欲しかったし、いろいろなことを学びたかったし、教えてもらいたかったので入会しました。また、にんじんの会が助成金で魅力的な楽器をたくさん揃えて音楽サークル活動 ミックスジュース を始めた年で、それにも魅力を感じたからです。 娘が ミックスジュース に初めて参加した時に、何の楽器を担当するかをみんなで考えました。キーボートなどは弾けないので、打楽器なら演奏できるのでないかということでベルを持って演奏に参加していました。でも、それって本当にこの子がしたいことなのかという疑問を持ち、福祉機器として市販されているスイッチなどと、身の回りにある家電やおもちゃを組み合わせて、楽器を演奏できるようにしました。みんなで協力して、娘を含む重度の子どもたちが本当にしたいことができ、また、能動的な活動につながるように工夫しました。 入会した時にいた先輩のお母さんたちはやさしくて、明るくて、とても楽しくて、本当にパワフルな人たちでした。娘が小学生の時には、二組のお母さんと一緒に沖縄旅行に行ったり、世代を超えてつながることで、私はどんどんたくましくなったと思います。いろいろなお母さん方と活動しているうちに、入会して2年目ぐらいの時に、圓井さんなら やりたいこといっぱいあるやろから ということで、仲のいいお母さんからにんじんの会の会長に推薦していただきました。みなさんの協力がいただけるのであればなってみようと決意し会長に就任しました。就任後、地域に開けた活動をしたいという思いがあったので、地域の文化祭で音楽サークルの演奏を発表したり、今の活動にもつながってきますが、 住みよい街角ウォーク というバリアフリー情報誌を作りました。この情報誌に徳島市内の洋式トイレの情報を載せるために、あちこちの施設に電話を掛け、現地視察をして洋式トイレチェックを行いました。その時、チェックの方法、基準などを学ぶために、建築士会さんやバリアフリー研究会の方などともつながるなど、どんどんといろいろな関係者とつながっていきました。そんな仲間は、娘のその後の地域での生き方を応援してくれる存在となり、現在の徳島県肢連の活動を共に行う仲間になっています。 圓井さんは団体で主に取り組んでいること、役割について教えてください。 本会の会長として、会を統括している訳ですが、私自身が得意とすることとして、活動の企画を考えたり、広報したりしています。仲間や関係者とのつながりを広げ、深める役割をしているかなと思います。 会員の方はどのような経緯で会員 メンバーになる方が多いか教えてください。 会員からの紹介が主かなと思います。または、バリフリボックス 無限大のような活動で知って仲間になりたいと思った方やホームページの問い合わせフォームからもあります。 二千十六年から開催しているバリフリボックスについて教えてください。 当初は本会の主催ではなく、高齢者関係の方やさまざまな団体で開催していた 徳島福祉機器展 というイベントに、障がいの特性についての情報をもっていったりしていましたが、地方では障がい児者の機器の情報もなかなか得られないという状況でした。そこで、もっと地方でも情報を得られるようにしたいとの思いで、当事者主体の福祉、福祉機器、私たちの生活に関連するようなことをテーマにしたセミナーや遊びなどいろんなことを網羅した企画をしていきたいと思い、徳島赤十字ひのみね医療療育センターに協力を依頼しました。徳島赤十字ひのみね医療療育センターの方も 当事者の方がコアとなってやっていくのであれば協力します。 と言ってくれたので、ひのみね医療療育センターの場所を借りて第一回目の企画を行うことができました。当事者主体なので、単なる福祉機器を展示する 福祉機器展 というだけでなく、いろいろな当事者目線で選んだ情報をみんなで共有する場として、 障がい児者のためのモノと情報と遊びの広場 にしたいという思いで バリフリボックス と名付けました。当事者が楽しめる企画として、遊びやアート、オシャレなどの内容を含め、親子で楽しめるビックリ箱のような要素が不可欠と、みんなでいろいろなアイデアを持ち寄り、楽しみながら企画しました。 二年間、ひのみねのセンターで開催したんですが、障がい児者の家族や関係者だけでなく、多くの人が来られる場所で、インクルーシブなバリフリボックスとして開催すべきだと思い、三回目からは場所を一般の公共の場に移し、多くの団体が参加協力する形で実施してきました。 コロナ禍の時には、バリフリボックスの開催が危ぶまれましたが、普段からお世話になっている徳島文理大学の柳澤教授に相談したところ、オンラインで開催することを提案してくれました。でもオンライン開催のノウハウもなく、 どうすればいいのか と教授に尋ねると同大学のメディアセンターでの配信を提案いただき、そのメディアセンターの教授も巻き込むことで開催に漕ぎつけることができました。さらに学生も併せて巻き込むことができました。 ほんとにあの当時は ズームってなに という状況だったので、いろいろなことを教えてもらいながら、こういった技術は今後も活用すべきだと強く感じました。また、その時につながったフリーアナウンサーの方など、その後も親しくつながっていて、イベントの運営や広報などに関わってくれています。 一人でできることってホントに少ないので、これからも仲間を増やしていろんなことをやっていきたいです。 バリフリボックスの名前の由来、発案者、経緯、思いについて教えてください。 多分、名付け親は私だったかと思います。「バリフリ」はバリアフリーからとり、ボックスは箱の意味です。バリアフリーと一言で言っても、いろいろあり、モノ、社会、意識・・・そんないろいろな視点 ボックス を集めた企画。また、福祉という言葉を前面に出さず、多くの一般の方にも来てほしい、福祉を超えた福祉イベントという軽快なイメージのネーミングにしました。 二千二十二年からバリフリボックス 無限大に名前を変更した理由を教えてください。 多くの関係者に協力団体として関わってもらうだけでなく、もう少し主体的な関係性で、バリフリボックスの企画を盛り上げてほしいという思いで、実行委員会を作りました。 また、実施していく中で、仲間たちといつかは県内最大の会場 アスティとくしま で開催したいという目標を話し合っていたこともあり、二千二十二年に同会場で開催することにした時に、実行委員会の多くの仲間で作るバリフリボックスの可能性は無限大として、 無限大 を付けることとしました。 アスティとくしま で開催後、来場者をもっと増やしたい、当事者の方以外にも、一般の方にももっとたくさん来てほしいという思いが強まりました。もっと バリフリボックス を知ってもらい、来場者を増やすために、どうすればいいか、ただ会場で待っているだけではダメだと考え、出前バリフリボックスを思いつきました。 出前バリフリボックス事業について教えてください。 バリフリボックス 無限大で実行委員会ができたことで、多様な関係者を巻き込むことができました。その関係者の方とコラボして出前バリフリボックスができれば、すごくいい情報を提供できるのではないか、当事者の方だけでは伝えきれない正確な情報を、一緒に参加してくれる専門家の方から伝えてもらうことで、よりいい情報を伝えられるのではないかと考えて委員会メンバーに出前バリフリボックスを提案しました。 そこで作業療法士会が一番に手を挙げてくれました。それが令和五年度の第一回目の出前バリフリボックスとなり、徳島市内の内町小学校四年生に対して、二日間かけて車いす操作法やみんなの住む町のフィールドワークを実施しました。 今年度も、内町小学校に二日間と上八万地域の防災フィールドワークを予定しています。 街中でのバリアフリー教室の小学生からの感想について教えてください。 実際に駅のトイレで車いすユーザーの方が、どのように車いすから便器へ移動するのかを実践すると、子どもたちは写真を撮るなど興味津々な様子でした。 また、先生から、体験後に子どもたちが街中で障がいをお持ちの方を見つけたときの意識が変わったと言っていたと聞きました。その他にも、小学校の近くにある踏切で困っている車いすユーザーの方の手助けをしたなど、子どもたちの障がいをお持ちの方への意識にいい影響を与えられたと感じています。 街中でのバリアフリー教室で苦労されたことや工夫されたことについて教えてください。 作業療法士会の方に、街歩きのミッションカードを作成してもらいました。フィールドワークをする中で、ミッションをクリアすること、チェックポイントで気付きを書きとめることなど、子どもたちが目標を持って、主体的に活動し、かつ少しゲーム感覚で参加できるようにしました。 学校の先生方は、子どもたちにアイパッドを持参させて多くの情報をしっかりと持ち帰って振り返れるようにしてくれました。また、当事者が参加することで、いろいろな対話の中、リアルな施設設備の使用方法を伝えられました。 出前バリフリボックスの今後の目標、展望について教えてください。 活動成果をバリフリボックス 無限大で報告するなどして多くの方に知ってもらい、実施対象者のニーズに合わせて、私たちだからこそ提供できる学びの企画として、充実 継続していきたいと思っています。 まずは子どもたちに学んでほしい気持ちが大きく、学校に出前することから始めましたが、今年度に上八万地域で行ったような地域と連携した活動は災害時の避難に活かされる重要なものだと思っています。 私たちにとっては、当事者の役割を見出し、バリフリボックスでつながった団体とのつながりを深める意味でも、専門家集団とのコラボの仕方も変化させたりしなら、出前バリフリボックスの内容も変化していきたいと思っています。 今年の取組について教えてください。 十月九日に内町小学校の出前バリフリボックスの一回目、十一月十一日に二回目のフィールドワーク、また、上八万地域の防災フィールドワークを十一月二日に実施します。 さらに、出前バリフリボックスの報告は、本会のホームページに掲載し、ふれあい健康館で行うバリフリボックス 無限大でもバリフリツリーや写真を掲示するなどしたいと考えています。 どのような団体と協力して実施されているか教えてください。 一般社団法人作業療法士会の方や今年度は徳島文理大学保険福祉学部理学療法学科の柳澤教授にも協力いただきました。また、当事者団体としてバリフリボックスに協力してくれている、徳島車いすバスケットボールクラブの主将である後藤さんにも協力いただいています。そして、上八万フィールドワークでは、今年度に結成された上八万つながる防災プロジェクトとコラボしました。 この、児童館を核にした上八万つながる防災プロジェクトは、上八万町民である私もメンバーで、要配慮者を含めた防災を考えるプロジェクトとして、減災・防災の講演会や体験を行うとともに、地域の防災マップを作成しました。今年度、出前バリフリボックスで防災をテーマとして取り組みたいと考えていたので、つながる防災プロジェクトの企画が終了したのち、作成した防災マップを使って、出前バリフリボックスとのコラボでフィールドワークをしようと提案しました。 来年一月のバリフリボックス 無限大では防災がテーマとのことですが、具体的にどのような内容を実施されるか教えてください。 元旦に起きた能登半島地震が衝撃的だったので、減災 防災をテーマにしたバリフリボックス 無限大を行うことにしました。 今回のメインとしては一日目の減災 防災シンポジウムということで、能登から訪問看護師の中村悦子さんをオンラインで繋ぎ、リアルな講演をしていただくとともに、被災地支援に行った実行委員会メンバーたちのパネルディスカッションを行い、グラフィックレコーディングで可視化することにしています。 能登の声を届けてくれる中村さんは、エヌエイチケイのニュースでインタビューを受けているのを見て、その発言に衝撃を受けて、ぜひこの方のお話を聞きたいと思ったのがきっかけで、今回、地震の後の洪水被害で未だ混乱状態の中、オンラインならと、講演いただくことになりました。直接お話した際に、地域支援に日々尽力されている様子がとても強く感じられ、南海トラフが心配な徳島の方々に生の声を届けて欲しいと強く思いました。 その他にも、会場で避難所体験、災害時に役立つ物品 蓄電池や発電機、抱っこ紐、防災食など の展示などを予定しています。 第一回のバリフリボックス 無限大では車いす避難サポーターの養成講座を開かれていましたが、車いすをはじめ障害のある方が避難する際にはどのような課題があるか教えてください。 まず、意外と基本的な車いす操作法を十分に知らない人が多いことです。高台に避難と言っても、簡単ではなく、日頃から避難訓練で車いすの方など要配慮者を含めての訓練が必須だと思いますが、なかなかできていないのが実情だと思います。 なので、柳澤教授が講座等を各地で行って、バリフリボックス 無限大でも行った車いす避難サポーター養成講座は、大変意義深いと思いますし、今年度上八万つながる防災プロジェクトでも、いくつかあった企画の一つとして、柳澤教授に行ってもらいました。 やはり災害となると普段の何倍も車いすでの避難は厳しいとしか言えません。平時から車いすに親しみ、操作法を学ぶ機会をつくっていくことが大事だと思います。 今後のバリフリボックス 無限大の展望、目標について教えてください。 今回は防災テーマでしたが、毎年新たなテーマを設定し、新たなことに取り組んでいきたいです。そうすることで、みんなに興味・関心を持ってもらい飽きさせない。常にテーマを持つことが、目的を明確にした開催につながると思います。 みんなの関心や社会の方向性を常に見ながら、テーマを考えていきたいです。 主催者としてどのような時に喜びややりがいを感じたか教えてください。 子どもたちの反応が素直で、とても自然、発想も豊かです。そんな子供たちの興味津々の瞳を見るとき、娘と嬉しそうに関わるとき、とてもうれしい温かな気持ちになります。こちらの関わり方次第で、理解が深まる実感があると思える時、喜びややりがいを感じます。 運輸局でも小学生を対象としたバリアフリー教室を実施しており、今後より良くしていくためのご助言をいただけますか。 当事者が参加することが大事。当事者のリアルな声を聞けることが大事。確かな専門知識を易しく親しみやすく伝えることが大事。そして、継続することが大事。だと思います。 今後の貴団体のビジョン、目標について教えてください。 当事者たちの活動から 福祉 、 障がい 、 車いす などの認識を変えていく、インクルーシブな企画を徳島から発信したい。常に、発想の転換、視点を変えることだと考えています。 今後考えておられる新たな試みがございましたら教えてください。 車椅子を光らせるデコウィールチームで地域のイベントに参加するなど、時には私たちが主役になり、みんなを引っ張っていく。 障がい 、 福祉 を飛び越えて、いろいろな方と楽しさや感動を共有できる試みをしていこうと思います。   目標実現のために四国運輸局に対して意見、要望についてお伺いします。 公共交通機関は、障がい児者にとって大事な移動手段だと思います。誰もにやさしい公共交通機関や駅であるように、さまざまな方の声を活かして。バリアフリー インクルーシブな場所、乗り物であってほしいし、その魅力を大きく広報、発信してもらうことが、世の中のともに生きる意識につながっていくことだと思います。 具体的な要望としては、多目的トイレにユニバーサルベッドを設置してほしいということです。大人も横になれる介護ベッドが駅にあれば、外出先でのおむつ交換がゆっくりできて安心です。高速道路の多目的トイレには、ほぼ完備されています。駅での普及もぜひ進めてください。 インタビューを終えて 今回は徳島県肢体不自由児者父母の会連合会長として、そして障がいのある子どもを持つ母として、 日々、徳島県内で共に生きる社会 共生社会 の実現に向けて活動されている圓井さんにインタビューを行いました。 こんな取組したら会員の人が楽しめるのではないか、一般の方が興味をもってくれるのではないかなど、 常に前向きな姿勢で多くの関係者を巻き込んでいくお話に本当に驚かされました。 今後も、徳島県肢体不自由児者父母の会連合会の要として、 みんながワクワクするインクルーシブな企画の立案に取り組んでいかれることを期待いたします。 インタビュー実施日 令和六年十月八日 火曜日 聞き手 森 高川 岡田 以上です。